遠縁の誰かが死んだらしい。同居人の親戚だが、誰だかさっぱりわからん。しかし明後日葬式、等、出席しなくてはならなそう。子連れだから私は行かなくて良いと言われる可能性もあるが。
どーも私は仏教の葬式に参列した記憶が少なく、御焼香が苦手でならない。あれは何を燃やしているんですか。七味唐辛子にしか見えません。でも、通夜や葬式には寿司がでるので、それは期待大です。
人が死んだとゆーのに不謹慎ではあるが。知らない人のさらにかなりどーでもいー人の生き死にに泪するほど、心に余裕のある人ではありません、私は。
まーこれが、夭折だったり事故だったりすれば、それなりに心いためることもあったかもしれんが、無茶苦茶幸福な老衰であったと聞けば、そりゃ、喜んであげなくてはバチが当たる。そのうちお会いしましょう、またねーバイバイね〜。ま、とりあえず、寿司が楽しみである、と。
昨夜は別の生物も死んだ。うちにいた猫。私はこの猫が嫌いだった。
この家に来るまで、私は猫大好きで、実家でも一匹、いまだに飼ってもらっている。どれくらい好きだったかというと「人間は猫を見た回数だけ不幸になり、猫を触った回数だけ幸福になる」とゆー格言を、勝手にでっちあげるほど、好きだったのである。
この家に来た当時、雄雌あわせて4匹の猫がいた。正直、家が猫臭いのに驚いた。動物を飼っている家にはそれなりのにおいがついて当然で、ある程度なら好ましくさえ思えるが、この家のは無闇に動物と人間が同居しているだけで、秩序もなにもない感じだった。
大事な家族といえども、人間が獣を指事してやるのが約束事とゆー頭な私にとって、これはかなりきつかった。猫は野生同様の生活態度。爪はどこでもとぐわ、のぼってはいけない所に登るわ。かろうじてトイレのしつけはついていたが、それも5割の確率。気がむかないと他でする。私がくるより以前は、最大14匹もいたそうで。やたらと拾ったり、男女わけずに育てていたため、増えに増えたそう。かといって去勢手術をしないのかと飼い主である同居人に聞くと「生まれたまんまの姿で生かしてやりたい」とか。
じゃあ、あんたがきちんと彼等を指導してくださいよ。自然にさせたいんじゃなくて、ただの放置。無責任。飼ってるなんて偉そうに言ってんじゃねぇよ。
幸か不幸か私が妊娠した頃には3匹に減り、そのために一室を猫ルームとして分割、雄雌部屋分けしこれ以上増加しないよう人間と別居させることになった。
別室暮らしになって多少はほっとしたが、同居人はセンチメンタルにこんなことを言いやがった「あいつら、幸せなのかな?」不幸でしょう。狭い一室に閉じ込められる前から、猫らが野性的に暴れ放題だったのは、ストレスが溜まっていたとしか思えません。外に遊びに行かせてやれば?と言えば「あいつらは家の中が好きなの」あんまりな生活状態に、私は同居人と猫の両方に対し、嫌いだと感じる方が強くなった。なにを言っても、猫のためとゆー体裁をとって自分が楽なほうを選び、結局は問題事を伸ばし伸ばしにする人間に対して、好印象などおぼえるワケがない。同居人が猫を「子供達」と称するのも大嫌いになった。子供をそんな生かせ方するのですか。口ばっかりで自分に酔って、実がまったく伴っていない。
この家の猫たちは、5〜6年が平均寿命、飼い猫にしては短すぎます。
この家の悪習悪癖を正そうと思ったが、仕事だの妊娠だのの雑多に追われ、結局対応しきれないままになり、今にいたる。間、一匹死に、ここ数年は雌雄一匹ずつ、二匹を生存させていた。
そして、昨夜死んだのはメスのみーさん。彼女は、物凄く人なつこい子で、しつこくすり寄ってくる子だった。だけど、その、相手の状況お構い無し、しかも野生的行動だから、どこにでも飛び乗り、自分のことだけを強烈にアピールしてくるところが、大嫌いだった。猫の魅力は気紛れなところと言うが、みーさんは、一匹でぼんやり考え事をしたり、そーゆーことをしたい時間のまったくない猫だった。
本音の話、生かしておくだけの現状を見ているのが嫌だった私は、亡くなってほっとした。
全部の猫が嫌いだったかとゆーと、そーでもなく。当初いたナツコさんは好きだった。片目の小心者でなかなか人に慣れなかったけど、時間をかけたら一緒に眠ってくれるようになった。最期は看取ってやれたし、あっちも安心して私を好いていてくれた。
人間的な付き合いをできないなら、飼うんじゃねぇよ。我が家の件について、本当は猫が悪いワケではないのは重々承知だが、それでも私はもう、素直に「猫大好き」とは言えません。
昨日、風呂に入りながら自分がいかに酷い人間かを思い出した。
中高6年間、水泳大会に一度もでたことがない(笑)
現場のプールまでは行っても、水着になったことすらない。後半3年間は、たしか、水着を持参さえしていなかった。
学校のイベント水泳大会で、一年に一度、中学部、高等部にわかれて(確か)なぜか、校外の屋外プールで開催されていた。学校にあったプールのほうが、室内だし広かったおぼえがあるんだが。屋外のせいで、盗撮野郎がよくいた。
クラス対抗戦で、種目ごとに人をだして泳がせ、点取り合戦を行う。たしか、キリスト教の学校だから、という名目で運動会はなく「体育記録会」(←各々タイムや記録を取るだけ)だったのに、なぜ、水泳と合唱は、競争を行わせたのか、謎。
出場していいのは一人いくつまで、とか、たしか、決まってた。ビリでも1点は入るので、とにかくでて!と、クラス委員かなんかが必死に頼んでたな。その子嫌いだったからますますでたくなくなった覚えもある。熱いクラスだと、一人の勝ち負けにおおわらわ、優勝したら泣いたりとかあったんだよな。
高3くらいになると、勉強してるフリ大好きな子たちは、日光の下で参考書開いたりしてらした。しかし、私は、6年間、ひたすらに、タオルをかぶって寝ていた(笑)細いベンチの上で微動だにせず、昼飯時になるときっちり起きてくる私を見て友人は「修行してるようだ」と評した。
泳げないわけではないんですが。とりあえず、四種目、下の上、もしくは中の下くらいの速度で泳げます。だけど、水着に着替えたり、泳いだ後にシャワー浴びたりといった一連の行動が嫌いでなりません。
しかし、泪して頑張って泳いだ人々がいたのに、好きなように寝ていたのは酷い話である。
猫の話より水泳大会の話のほうで、酷いと自覚するのもなんだが。
今日喰ったもの
昼/胡麻だれうどん
夜/豚キムチ。ナスの味噌汁。
どーも私は仏教の葬式に参列した記憶が少なく、御焼香が苦手でならない。あれは何を燃やしているんですか。七味唐辛子にしか見えません。でも、通夜や葬式には寿司がでるので、それは期待大です。
人が死んだとゆーのに不謹慎ではあるが。知らない人のさらにかなりどーでもいー人の生き死にに泪するほど、心に余裕のある人ではありません、私は。
まーこれが、夭折だったり事故だったりすれば、それなりに心いためることもあったかもしれんが、無茶苦茶幸福な老衰であったと聞けば、そりゃ、喜んであげなくてはバチが当たる。そのうちお会いしましょう、またねーバイバイね〜。ま、とりあえず、寿司が楽しみである、と。
昨夜は別の生物も死んだ。うちにいた猫。私はこの猫が嫌いだった。
この家に来るまで、私は猫大好きで、実家でも一匹、いまだに飼ってもらっている。どれくらい好きだったかというと「人間は猫を見た回数だけ不幸になり、猫を触った回数だけ幸福になる」とゆー格言を、勝手にでっちあげるほど、好きだったのである。
この家に来た当時、雄雌あわせて4匹の猫がいた。正直、家が猫臭いのに驚いた。動物を飼っている家にはそれなりのにおいがついて当然で、ある程度なら好ましくさえ思えるが、この家のは無闇に動物と人間が同居しているだけで、秩序もなにもない感じだった。
大事な家族といえども、人間が獣を指事してやるのが約束事とゆー頭な私にとって、これはかなりきつかった。猫は野生同様の生活態度。爪はどこでもとぐわ、のぼってはいけない所に登るわ。かろうじてトイレのしつけはついていたが、それも5割の確率。気がむかないと他でする。私がくるより以前は、最大14匹もいたそうで。やたらと拾ったり、男女わけずに育てていたため、増えに増えたそう。かといって去勢手術をしないのかと飼い主である同居人に聞くと「生まれたまんまの姿で生かしてやりたい」とか。
じゃあ、あんたがきちんと彼等を指導してくださいよ。自然にさせたいんじゃなくて、ただの放置。無責任。飼ってるなんて偉そうに言ってんじゃねぇよ。
幸か不幸か私が妊娠した頃には3匹に減り、そのために一室を猫ルームとして分割、雄雌部屋分けしこれ以上増加しないよう人間と別居させることになった。
別室暮らしになって多少はほっとしたが、同居人はセンチメンタルにこんなことを言いやがった「あいつら、幸せなのかな?」不幸でしょう。狭い一室に閉じ込められる前から、猫らが野性的に暴れ放題だったのは、ストレスが溜まっていたとしか思えません。外に遊びに行かせてやれば?と言えば「あいつらは家の中が好きなの」あんまりな生活状態に、私は同居人と猫の両方に対し、嫌いだと感じる方が強くなった。なにを言っても、猫のためとゆー体裁をとって自分が楽なほうを選び、結局は問題事を伸ばし伸ばしにする人間に対して、好印象などおぼえるワケがない。同居人が猫を「子供達」と称するのも大嫌いになった。子供をそんな生かせ方するのですか。口ばっかりで自分に酔って、実がまったく伴っていない。
この家の猫たちは、5〜6年が平均寿命、飼い猫にしては短すぎます。
この家の悪習悪癖を正そうと思ったが、仕事だの妊娠だのの雑多に追われ、結局対応しきれないままになり、今にいたる。間、一匹死に、ここ数年は雌雄一匹ずつ、二匹を生存させていた。
そして、昨夜死んだのはメスのみーさん。彼女は、物凄く人なつこい子で、しつこくすり寄ってくる子だった。だけど、その、相手の状況お構い無し、しかも野生的行動だから、どこにでも飛び乗り、自分のことだけを強烈にアピールしてくるところが、大嫌いだった。猫の魅力は気紛れなところと言うが、みーさんは、一匹でぼんやり考え事をしたり、そーゆーことをしたい時間のまったくない猫だった。
本音の話、生かしておくだけの現状を見ているのが嫌だった私は、亡くなってほっとした。
全部の猫が嫌いだったかとゆーと、そーでもなく。当初いたナツコさんは好きだった。片目の小心者でなかなか人に慣れなかったけど、時間をかけたら一緒に眠ってくれるようになった。最期は看取ってやれたし、あっちも安心して私を好いていてくれた。
人間的な付き合いをできないなら、飼うんじゃねぇよ。我が家の件について、本当は猫が悪いワケではないのは重々承知だが、それでも私はもう、素直に「猫大好き」とは言えません。
昨日、風呂に入りながら自分がいかに酷い人間かを思い出した。
中高6年間、水泳大会に一度もでたことがない(笑)
現場のプールまでは行っても、水着になったことすらない。後半3年間は、たしか、水着を持参さえしていなかった。
学校のイベント水泳大会で、一年に一度、中学部、高等部にわかれて(確か)なぜか、校外の屋外プールで開催されていた。学校にあったプールのほうが、室内だし広かったおぼえがあるんだが。屋外のせいで、盗撮野郎がよくいた。
クラス対抗戦で、種目ごとに人をだして泳がせ、点取り合戦を行う。たしか、キリスト教の学校だから、という名目で運動会はなく「体育記録会」(←各々タイムや記録を取るだけ)だったのに、なぜ、水泳と合唱は、競争を行わせたのか、謎。
出場していいのは一人いくつまで、とか、たしか、決まってた。ビリでも1点は入るので、とにかくでて!と、クラス委員かなんかが必死に頼んでたな。その子嫌いだったからますますでたくなくなった覚えもある。熱いクラスだと、一人の勝ち負けにおおわらわ、優勝したら泣いたりとかあったんだよな。
高3くらいになると、勉強してるフリ大好きな子たちは、日光の下で参考書開いたりしてらした。しかし、私は、6年間、ひたすらに、タオルをかぶって寝ていた(笑)細いベンチの上で微動だにせず、昼飯時になるときっちり起きてくる私を見て友人は「修行してるようだ」と評した。
泳げないわけではないんですが。とりあえず、四種目、下の上、もしくは中の下くらいの速度で泳げます。だけど、水着に着替えたり、泳いだ後にシャワー浴びたりといった一連の行動が嫌いでなりません。
しかし、泪して頑張って泳いだ人々がいたのに、好きなように寝ていたのは酷い話である。
猫の話より水泳大会の話のほうで、酷いと自覚するのもなんだが。
今日喰ったもの
昼/胡麻だれうどん
夜/豚キムチ。ナスの味噌汁。
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