久々に文字数ギリギリ勝負
2002年10月17日MRIで寝放題。一種リズミカルではありませんかあの爆音。夢まで見た。
そして検査室用の草履のまま会計まで行きました。寝ぼけていたようです。
さて最近は発熱に対する感覚が狂ってきたようで、なんか調子悪、熱でたか?と計ると平熱。ああ健康、と思って計ると微熱。もー煮るなり焼くなりしておくれ。
子の幼稚園説明会は、同居人に行かせた。なにやらちゃんと、願書提出日には並ばねばならない模様。阿呆か。一番近いから入園できるように、自分が苦痛と感じないまでの努力はするが、それ以上はしないね。確信。整理番号もらえなかったら御縁がなかったとゆーことで。
このテの、合格不合格っぽいものにあまり動じないのは育てのおかげ。
中学受験時、入学した学校は補欠合格ではあったが、院長の「どんな経緯であろうと、この学校に入るべき人は入り、別の所の方がその人に良い場合はそうなったのです。神様に選ばれたのです」とゆー美辞麗句に誤魔化され、のほほんと。
結局、入った先が粗悪であろうと、悪いものは悪いと判断でき、それを自分の中で消化していけるようになりゃいいではないの、と。入園できなくて四苦八苦するのも、その経緯がその人に必要だから四苦八苦するのよねんと。やるだけやって入れなかったら、我が子には幼稚園に行くより自宅にいるほうが大事だとゆーこと。
自分が幼稚園に入る時、3月に引っ越ししたばかりで、親が困って近所の幼稚園に相談に行ったら、本当は抽選等あったんだけど事情が事情だからお入りなさいと入れてくれた。その相談についていって、私は職員室で教員に苺ミルクを所望し、喰いまくった。覚えている。美味かった。そんなんでも入れてくれる所は入れてくれるし、駄目な所は駄目なんだから、もー困っても無駄無駄。なるようにしかならん。
そーいや、母に、先頃ちょこちょこ書いていた、テープ起こしと編集手伝いしたちょいと自己啓発的な本のでき上がり物をあげた。母、ここんとこ更年期障害も手伝い、ちょっと鬱気味だったし、長電話に付き合っては、その本の話をしたりして、どーにか回復させようとしていたのですよ。
これは親孝行ではない。自分孝行である。
だって、あの、リアル乙女心な母が本格鬱になったら、私が一番苦労するのは目に見えているもの(笑)
たしかに兄の離婚及び、その子、孫の面倒見たりで大変なのは同情し助けるべき部分ではあるものの。私は、あの母の鬱ほど厄介な物はなさそうな気がするのだ(笑)
その本の内容が比較的、聖書を勉強した人間には理解しやすいものなので、それは聖書だとあそこだよ、聖書のあの部分は科学的に言うとこうだから正しいんじゃあないの、と、そーゆー切り口で母を懐柔した(笑)
したらなんとか立ち直りつつあるようで。ほっと。自分が今までずっと温めていた童話を書こうとしているらしい。良きかな良きかな。ハリを持て母よ。だから無責任に「いいじゃんいいじゃん、それでベストセラーになったら、私がマネージメントするから給料たんまりちょうだい」と。くれくれ。お金大好き。
そーゆーことで、最近、母が仕事中にしょっちゅう職場から電話をかけてきていたのだが(笑)←小さな営業所で、一人で留守番しているから比較的なんでも自由が効くそうな。
そんで色々話していて、ちょいと意外なことがあった。
文盲に限りなく近い兄がいるが(笑)、その兄が少しでも成長するようにと、新聞のコラムや簡単な記事を切り抜いて、時折、机の上にメモと共に置いて、読ませようとしているらしい。狭い世界観で生きている兄なので、少しずつどうにかしないと、いい年齢なんだし恥ずかしいにもほどがある。
時々「あれ読んだよ」程度の反応があるそうな←この反応の薄さが笑える。兄、母のそーゆー愛情表現に照れている模様(笑)
母は「それしか反応がなくて、あんたみたいにその話題について具体的な話をしないから、無駄なんじゃないかと思って」と言った。
……いい年齢の文盲がそんなすぐに反応するか(笑)!
まず、兄はそーゆー切り抜きをちょこちょこ読むのに、前述の照れが先に立つ。内容を読んではいて、それなりに感じる部分はあるけれど、それよりも照れ=母が読ませたもの、とゆー意識のほうが大きい。それをずっと続けたある時期から、文章自体の内容に入って考えるようになり、いつしか照れよりも内容を深く見るようになる。それで読んで考えたことを自分のものとして熟成させる。母なり、誰か他者に口頭で伝えられるようになる。
それは短期間で反応を待つほうが無茶だと、私は思う。素養のあるなしを考えると、兄は確実に、ない(笑)エロ本で言うなら小説よりマンガな人。グラビアよりビデオな人。
でさ。この後は偶然やその人の性質にもよると思うけど。上記でいうなら、読んだ切り抜きの量。これが飽和量に達した時に緩やかに気づくのか。それとも、悟りを開くという表現を使うように、パッと開眼するのか。
飽和量に達するまで、本人は自分の成長にさして気づかない。それである時ガラッと世界観が変わる。これは偶発ではなく、実は積み重ねあってのものだ。
で、母に「そんな早急に結果を求めるな。あれだあれ……ガラスの仮面でもでてくるが、ヘレンケラ−だ、奇跡の人だ」と説明した。母と私はマンガ仲間。
細かな情報が積もりつもって飽和に達して開眼する。この場合の情報、は、感情等の計測不可能なものも含む。
で、私はその開眼のカタルシスは、誰しも経験していくものだと思っていた。自分が今まで4回経験しているから。
が、どうも、母にはその感覚がわからないらしい。ヘレンケラ−の話はすごいと思い(笑)、ガラスの仮面内においての扱いも素晴らしいと思うらしいが、でも、電気に打たれたり水風船が顔に当たったりといった(笑)あの感覚は理解できないそうだ。
むー。オカルト雑誌。少なくとも美内鈴江はあの感覚を知っていると思うが(笑)どうなんでしょう、美内鈴江とおそらく同世代と思われる母はあの感覚を知らない。これは、世代は別として、知らない人は本当に知らないのだろうか。ただ単に、私と母がその感覚を語るにおいて、共通単語を持たないから通じないだけなのか。
謎すぎ。
これまで、キリシタンは皆そーゆー開眼状態を経て洗礼を受けているもんだと思っていたので、我が母が違いちとショック。まー、洗礼理由なんてものも、私が考察しているそれが正しいわけではないと思うので、そうであらねばならない事象ではないんだけどさ。
乙女心母ゆえ、キリシタンの理念を学んで、ピュアな心のまま素晴らしいと思って洗礼を受けたのかも、とも思うんだけどさ。あの支柱のなさからして(笑)
そのへんに気がいくようになったら、そーいや昔、教会で会った人たちって、キリシタンだけどどうも腹黒そう、とゆーか、いざとなったらあまり頼りにならなそう、したら本音の迷惑顔しそうだな、と思った。まーそのへんが私がキリシタンにならん理由のひとつでもあるが。
母もまったく苦労した経験がない人ではない。どころか祖父の失職後、妹たちを学校に通わせるためそれなりに苦労してきた人だ。だからこそもうちょっとなにかあって欲しいと思うのは、子の欲目。今からでも遅くはない。無宗教者の切り口で母を楽にしてやりたいなと。……金銭的に補助できんからせめて精神論で(笑)
今日喰ったもの
昼/ラーメン
夜/天とじそば
麺類愛。
そして検査室用の草履のまま会計まで行きました。寝ぼけていたようです。
さて最近は発熱に対する感覚が狂ってきたようで、なんか調子悪、熱でたか?と計ると平熱。ああ健康、と思って計ると微熱。もー煮るなり焼くなりしておくれ。
子の幼稚園説明会は、同居人に行かせた。なにやらちゃんと、願書提出日には並ばねばならない模様。阿呆か。一番近いから入園できるように、自分が苦痛と感じないまでの努力はするが、それ以上はしないね。確信。整理番号もらえなかったら御縁がなかったとゆーことで。
このテの、合格不合格っぽいものにあまり動じないのは育てのおかげ。
中学受験時、入学した学校は補欠合格ではあったが、院長の「どんな経緯であろうと、この学校に入るべき人は入り、別の所の方がその人に良い場合はそうなったのです。神様に選ばれたのです」とゆー美辞麗句に誤魔化され、のほほんと。
結局、入った先が粗悪であろうと、悪いものは悪いと判断でき、それを自分の中で消化していけるようになりゃいいではないの、と。入園できなくて四苦八苦するのも、その経緯がその人に必要だから四苦八苦するのよねんと。やるだけやって入れなかったら、我が子には幼稚園に行くより自宅にいるほうが大事だとゆーこと。
自分が幼稚園に入る時、3月に引っ越ししたばかりで、親が困って近所の幼稚園に相談に行ったら、本当は抽選等あったんだけど事情が事情だからお入りなさいと入れてくれた。その相談についていって、私は職員室で教員に苺ミルクを所望し、喰いまくった。覚えている。美味かった。そんなんでも入れてくれる所は入れてくれるし、駄目な所は駄目なんだから、もー困っても無駄無駄。なるようにしかならん。
そーいや、母に、先頃ちょこちょこ書いていた、テープ起こしと編集手伝いしたちょいと自己啓発的な本のでき上がり物をあげた。母、ここんとこ更年期障害も手伝い、ちょっと鬱気味だったし、長電話に付き合っては、その本の話をしたりして、どーにか回復させようとしていたのですよ。
これは親孝行ではない。自分孝行である。
だって、あの、リアル乙女心な母が本格鬱になったら、私が一番苦労するのは目に見えているもの(笑)
たしかに兄の離婚及び、その子、孫の面倒見たりで大変なのは同情し助けるべき部分ではあるものの。私は、あの母の鬱ほど厄介な物はなさそうな気がするのだ(笑)
その本の内容が比較的、聖書を勉強した人間には理解しやすいものなので、それは聖書だとあそこだよ、聖書のあの部分は科学的に言うとこうだから正しいんじゃあないの、と、そーゆー切り口で母を懐柔した(笑)
したらなんとか立ち直りつつあるようで。ほっと。自分が今までずっと温めていた童話を書こうとしているらしい。良きかな良きかな。ハリを持て母よ。だから無責任に「いいじゃんいいじゃん、それでベストセラーになったら、私がマネージメントするから給料たんまりちょうだい」と。くれくれ。お金大好き。
そーゆーことで、最近、母が仕事中にしょっちゅう職場から電話をかけてきていたのだが(笑)←小さな営業所で、一人で留守番しているから比較的なんでも自由が効くそうな。
そんで色々話していて、ちょいと意外なことがあった。
文盲に限りなく近い兄がいるが(笑)、その兄が少しでも成長するようにと、新聞のコラムや簡単な記事を切り抜いて、時折、机の上にメモと共に置いて、読ませようとしているらしい。狭い世界観で生きている兄なので、少しずつどうにかしないと、いい年齢なんだし恥ずかしいにもほどがある。
時々「あれ読んだよ」程度の反応があるそうな←この反応の薄さが笑える。兄、母のそーゆー愛情表現に照れている模様(笑)
母は「それしか反応がなくて、あんたみたいにその話題について具体的な話をしないから、無駄なんじゃないかと思って」と言った。
……いい年齢の文盲がそんなすぐに反応するか(笑)!
まず、兄はそーゆー切り抜きをちょこちょこ読むのに、前述の照れが先に立つ。内容を読んではいて、それなりに感じる部分はあるけれど、それよりも照れ=母が読ませたもの、とゆー意識のほうが大きい。それをずっと続けたある時期から、文章自体の内容に入って考えるようになり、いつしか照れよりも内容を深く見るようになる。それで読んで考えたことを自分のものとして熟成させる。母なり、誰か他者に口頭で伝えられるようになる。
それは短期間で反応を待つほうが無茶だと、私は思う。素養のあるなしを考えると、兄は確実に、ない(笑)エロ本で言うなら小説よりマンガな人。グラビアよりビデオな人。
でさ。この後は偶然やその人の性質にもよると思うけど。上記でいうなら、読んだ切り抜きの量。これが飽和量に達した時に緩やかに気づくのか。それとも、悟りを開くという表現を使うように、パッと開眼するのか。
飽和量に達するまで、本人は自分の成長にさして気づかない。それである時ガラッと世界観が変わる。これは偶発ではなく、実は積み重ねあってのものだ。
で、母に「そんな早急に結果を求めるな。あれだあれ……ガラスの仮面でもでてくるが、ヘレンケラ−だ、奇跡の人だ」と説明した。母と私はマンガ仲間。
細かな情報が積もりつもって飽和に達して開眼する。この場合の情報、は、感情等の計測不可能なものも含む。
で、私はその開眼のカタルシスは、誰しも経験していくものだと思っていた。自分が今まで4回経験しているから。
が、どうも、母にはその感覚がわからないらしい。ヘレンケラ−の話はすごいと思い(笑)、ガラスの仮面内においての扱いも素晴らしいと思うらしいが、でも、電気に打たれたり水風船が顔に当たったりといった(笑)あの感覚は理解できないそうだ。
むー。オカルト雑誌。少なくとも美内鈴江はあの感覚を知っていると思うが(笑)どうなんでしょう、美内鈴江とおそらく同世代と思われる母はあの感覚を知らない。これは、世代は別として、知らない人は本当に知らないのだろうか。ただ単に、私と母がその感覚を語るにおいて、共通単語を持たないから通じないだけなのか。
謎すぎ。
これまで、キリシタンは皆そーゆー開眼状態を経て洗礼を受けているもんだと思っていたので、我が母が違いちとショック。まー、洗礼理由なんてものも、私が考察しているそれが正しいわけではないと思うので、そうであらねばならない事象ではないんだけどさ。
乙女心母ゆえ、キリシタンの理念を学んで、ピュアな心のまま素晴らしいと思って洗礼を受けたのかも、とも思うんだけどさ。あの支柱のなさからして(笑)
そのへんに気がいくようになったら、そーいや昔、教会で会った人たちって、キリシタンだけどどうも腹黒そう、とゆーか、いざとなったらあまり頼りにならなそう、したら本音の迷惑顔しそうだな、と思った。まーそのへんが私がキリシタンにならん理由のひとつでもあるが。
母もまったく苦労した経験がない人ではない。どころか祖父の失職後、妹たちを学校に通わせるためそれなりに苦労してきた人だ。だからこそもうちょっとなにかあって欲しいと思うのは、子の欲目。今からでも遅くはない。無宗教者の切り口で母を楽にしてやりたいなと。……金銭的に補助できんからせめて精神論で(笑)
今日喰ったもの
昼/ラーメン
夜/天とじそば
麺類愛。
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