しかし続まで読んだところで、すかーっとする幸福があるかといえばそうでもない。むしろ、物語の続きをリアルに想像して心配する。
以前、病気を患った友人がいて落ち込んでいた。心なく、また、悪気なくあっさりと「因果応報」と口にする人が多いと。友人は聖人ではないが悪人でもなかった。
私の持論では、因果応報は希望であり現実ではない。それはキリスト教教育を受けたのでそう思う部分もあるが、それならば世界ン割の人間が信じているキリスト教がその趣向を持ち、つまり多数が思うのならせめて「常識」と呼んでも問題なかろう、と、考える面もある。
仏教系の言葉である因果応報も同じ論理でいえば常識なのかもしらんけれど、短絡的に言うそれとは明らかに根底の意味が違う。
と、そこらへんを言って、そんなつまらんことを言うやつは全世界的にいえば無知の部類なのだから、気にするな、と、言った。
そんな曖昧なことを言うよりも、泥流地帯を読め、できれば続まで、と、言ったほうがよほど良かったと、今にして思う。
泥流地帯は宗教色が薄い作品で(続のほうが少し濃い)、そんなに毛嫌いせず読めるはず。拓一ヨレバンガ!
以前、病気を患った友人がいて落ち込んでいた。心なく、また、悪気なくあっさりと「因果応報」と口にする人が多いと。友人は聖人ではないが悪人でもなかった。
私の持論では、因果応報は希望であり現実ではない。それはキリスト教教育を受けたのでそう思う部分もあるが、それならば世界ン割の人間が信じているキリスト教がその趣向を持ち、つまり多数が思うのならせめて「常識」と呼んでも問題なかろう、と、考える面もある。
仏教系の言葉である因果応報も同じ論理でいえば常識なのかもしらんけれど、短絡的に言うそれとは明らかに根底の意味が違う。
と、そこらへんを言って、そんなつまらんことを言うやつは全世界的にいえば無知の部類なのだから、気にするな、と、言った。
そんな曖昧なことを言うよりも、泥流地帯を読め、できれば続まで、と、言ったほうがよほど良かったと、今にして思う。
泥流地帯は宗教色が薄い作品で(続のほうが少し濃い)、そんなに毛嫌いせず読めるはず。拓一ヨレバンガ!
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