本日はいつもと異なる表現が多々でてくると予想されます。
実家で飼い続けていた猫が死んだ。今日が誕生日だった。だからきっちり16歳。
数年前から不調が見られたり、なにより年齢からいって、そう長いことはないとわかっていた。
昨日母から連絡があり、病院に連れて行ったところ、もう数カ月のよう、と。仕方がないか、あまりひどい姿は見たくないし、猫自身あまり痛い思いをしないといいな、と、通り一辺倒のことを思った。
今朝、実家に住む人間らが朝8時半頃までにポツポツ起きてきた。皆、猫がもう弱っているのを知っているから、頭を撫でておはようと挨拶。その都度「アッ」と挨拶していたらしい。この猫がこれまで「ニャ−」と鳴いたのを聞いたことがない。人間ならばハスキーボイスだったのか、いつも最低限「アッ」と鳴いて呼ぶ猫だった。
そして皆が食事をし終えた9時、あまりに大人しく、見れば呼吸が変。意識もない。そしてそのまま、どの呼吸が最後だったかうっかり見落とすほど静かに死んだ。
連絡を受けて実家へ行きその姿を見れば、いつもどおり丸まって、長めの毛もフワカフワカ、耳はピンと立てて、寝ているようで、まさしく安らかであった。そしてまだ温もりを宿していた。
詳しく話を聞くと(これまでも部分部分は聞いていたが)、昨年からの不調、通院して様子見はくり返しており、昨日曜に通院した際「まだなんとかなる」と言われていたが、先週なかばからまたぜいぜいいっていたので、昨日(土曜日になり)また連れていったら「肺に水が溜まってきているから、長くはないだろう」と言われたらしい。母はこの「長くはない」を、数カ月だと思った。
夜には自分でトイレに行くことが困難になり、トイレに連れていくと排泄した後、立ってでられなくなった。ペットシーツでおむつを作り、あてがって夜を迎えた。母が入浴前にホットカーペットの上に寝床を置き、猫を寝かせておいたが、風呂上がりにはいつもお気に入りのソファの上に移動していて、あんなよろよろで動けないはずなのにどうやってソファまで行ったのかと不思議だった。
結果、猫がおむつにした排泄はただ一度きりだった。
今朝。一人一人が起きてくるたびに大きく口を開けて「アッ!」とおはようを言った。猫が気を緩めたのは、いつも通りの朝の風景。人々が食事をしている光景は、この16年間、メンバーは入れ代わりつつも、同じものだったろう。
私が到着して、家族が所用を済ませ、花を贈って火葬場へ運んだ。これまで人間と同居してイヤなこともあったろうに付き合ってくれて、死んでまでいじくりまわしてはいけないと、皆が思った。
だから、荼毘に臥してくれる所まで、死んでから六時間も経っていないうちに連れていけた。それでも肉体は固くなりはじめ、床面に残るほのかな温もりが一層淋しかった。
一匹ずつの火葬ならお骨をもらって帰れるそうだが、うちはうちの方針で合同火葬を選んだ。動物は動物。そしてここの火葬場では、合同火葬のペットたちを埋め立て地の土としてくれるそうだ。これまで人間のエゴに歪められてペットながらそれなりに幸福に暮らしてきたのだから、今度は灰となったほかの動物たちと動物同志の幸福にあると良い。猫の一部がある土地は私の家の近所。
だから実際にどうとか、考えたくありません。猫はそこにいる。
たぶん猫は、ペットとしての猫としてそれなりに人間に馴化して幸福だったろう。猫としての本能、死ぬ際に人間の目につかない所へ行くことをしなかったのだから。
私が猫にその名前をつけたのは、その頃の私が世界で一番綺麗だと思うものの名がそれだったから。
そしてその美しくなるこの季節に猫はいなくなった。
家族が死際に会えなかった、苦しみが長く続いたと悲嘆に暮れることないように、美しく死んでいった猫の優しさを想いたい。
実家で飼い続けていた猫が死んだ。今日が誕生日だった。だからきっちり16歳。
数年前から不調が見られたり、なにより年齢からいって、そう長いことはないとわかっていた。
昨日母から連絡があり、病院に連れて行ったところ、もう数カ月のよう、と。仕方がないか、あまりひどい姿は見たくないし、猫自身あまり痛い思いをしないといいな、と、通り一辺倒のことを思った。
今朝、実家に住む人間らが朝8時半頃までにポツポツ起きてきた。皆、猫がもう弱っているのを知っているから、頭を撫でておはようと挨拶。その都度「アッ」と挨拶していたらしい。この猫がこれまで「ニャ−」と鳴いたのを聞いたことがない。人間ならばハスキーボイスだったのか、いつも最低限「アッ」と鳴いて呼ぶ猫だった。
そして皆が食事をし終えた9時、あまりに大人しく、見れば呼吸が変。意識もない。そしてそのまま、どの呼吸が最後だったかうっかり見落とすほど静かに死んだ。
連絡を受けて実家へ行きその姿を見れば、いつもどおり丸まって、長めの毛もフワカフワカ、耳はピンと立てて、寝ているようで、まさしく安らかであった。そしてまだ温もりを宿していた。
詳しく話を聞くと(これまでも部分部分は聞いていたが)、昨年からの不調、通院して様子見はくり返しており、昨日曜に通院した際「まだなんとかなる」と言われていたが、先週なかばからまたぜいぜいいっていたので、昨日(土曜日になり)また連れていったら「肺に水が溜まってきているから、長くはないだろう」と言われたらしい。母はこの「長くはない」を、数カ月だと思った。
夜には自分でトイレに行くことが困難になり、トイレに連れていくと排泄した後、立ってでられなくなった。ペットシーツでおむつを作り、あてがって夜を迎えた。母が入浴前にホットカーペットの上に寝床を置き、猫を寝かせておいたが、風呂上がりにはいつもお気に入りのソファの上に移動していて、あんなよろよろで動けないはずなのにどうやってソファまで行ったのかと不思議だった。
結果、猫がおむつにした排泄はただ一度きりだった。
今朝。一人一人が起きてくるたびに大きく口を開けて「アッ!」とおはようを言った。猫が気を緩めたのは、いつも通りの朝の風景。人々が食事をしている光景は、この16年間、メンバーは入れ代わりつつも、同じものだったろう。
私が到着して、家族が所用を済ませ、花を贈って火葬場へ運んだ。これまで人間と同居してイヤなこともあったろうに付き合ってくれて、死んでまでいじくりまわしてはいけないと、皆が思った。
だから、荼毘に臥してくれる所まで、死んでから六時間も経っていないうちに連れていけた。それでも肉体は固くなりはじめ、床面に残るほのかな温もりが一層淋しかった。
一匹ずつの火葬ならお骨をもらって帰れるそうだが、うちはうちの方針で合同火葬を選んだ。動物は動物。そしてここの火葬場では、合同火葬のペットたちを埋め立て地の土としてくれるそうだ。これまで人間のエゴに歪められてペットながらそれなりに幸福に暮らしてきたのだから、今度は灰となったほかの動物たちと動物同志の幸福にあると良い。猫の一部がある土地は私の家の近所。
だから実際にどうとか、考えたくありません。猫はそこにいる。
たぶん猫は、ペットとしての猫としてそれなりに人間に馴化して幸福だったろう。猫としての本能、死ぬ際に人間の目につかない所へ行くことをしなかったのだから。
私が猫にその名前をつけたのは、その頃の私が世界で一番綺麗だと思うものの名がそれだったから。
そしてその美しくなるこの季節に猫はいなくなった。
家族が死際に会えなかった、苦しみが長く続いたと悲嘆に暮れることないように、美しく死んでいった猫の優しさを想いたい。
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