健康体になるべく、久々の2万歩。ダウンダウン。

読書記録のほうとどちらに具体的なところを書こうかと迷うが、ここ数日普通日記にちょこちょこ記しているので、その続きとしてこちらに。
骨髄バンクのドナー登録には、まず申し込みだけでもしてみようかと考え。そこで不健康だからとはじかれるかもしれないが、専門の検査を通過する可能性もあるので、まず素人がその時々の血液の数値もわからずぐだぐだ言うよりも、初手だけは打っておこうかと。ダメだったらダメって言われるだろうし。
(ここで読書記録にした、柳田邦男氏の本内容が絡む)
私もまるで自己犠牲からではなく、自分が善意を待つ側になるかもしれないヌルい恐怖感への保険、および、こんななんとなくで誰か知らん人が助かるならいー気分。程度の理由。
それではいーかげんすぎていかんかと思っていたが、結局、受ける側にはそんなもん関係ないんである。あるかなしかで生死の境目がまるきり違うのだ。だからありゃいーの。言ってしまえば「ドナーってなんかかっちょいーじゃーん」とゆー浅はかな理由であっても、提供される側には関係なし。

臓器提供ともなれば話は別で、前述の柳田邦男氏作のその当時はまだ臓器移植の法も今ほどではなかったので、心停止の瀬戸際で臓器を摘出している。脳死→臓器摘出可(同意書等の有無はあるが)ではなかった時代で、しかし逆に、その可不可のおかげで、家族がゆっくりと充実した死を考える時間を持てている。
私にとってそこらへんはまだ解答がでないので、臓器ドナーについては先送り。

まー、まだもっと調べて、親兄弟にもしっかり説明できるようになって、同意を得られてからだけれども。ちょぼへぼ知識では、実際ドナーになった場合、家族の補助なしでは日常雑事に面倒が起こることもあるようなので(私の場合は、入院中の子の世話が主)
自分が誰かの親知らず抜きを待っていると考えたら、いわずもがな抜いておくれよである。
万一私がドナーになったら、それは私が健康であると御墨付きをもらえるようなもので、そのバロメーターとしてのドナー登録であると考えて善し。ただし冷やかしではなく、いざきたら心構えを持って受ける覚悟は持ち。

さておき。
申し訳ないほどどーでもいー話に移行する。
ンコスロ屋で余り玉でもらうライターの金属部分に「777」とあるのは、縁起担ぎなんでしょうか。

あー明日は月曜日だー。まさしく暗い。午後には左腕が鈍痛に見舞われ、暴言ばかり吐いていることでしょう。

遅ればせながらしまこー様、リンクありがとうございます。
新規リンクの方の名が最上部もしくは最下部に表示されず、今日まで気づかずにおりました。御愛顧のほどお願い申し上げます。

今日喰ったもの
夜/焼肉
えっ?

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