最近、読みが当たることが増えております。
自分が携帯を新しくし、子の位置確認をできるようになった。最近は人に優しいシステムで、基本料無料で、子自身が返信さえすれば住所がでてくるタイプが使用できる。
それを実験するのと、甥が持った携帯の番号やアドレスを入力したり(母から「なんか送った?」と問い合わせがあったので)なんだり、子の携帯をいじっていた訳だ。
だから決して、好奇心から、子の携帯を覗き見たのではない、とゆー自己弁護をしつつ、以下。
同会社同士の無料メールをチェックしたところ(これ、タイトルなく即内容)、一昨年、小学校で仲良くなった今は中学一年生の女の子の年賀メールを発見。あらあらやりとりしているのねーと微笑ましく思ったところ、次に見てしまったのは子の送信した
「あけましておめでとう!今年の星座はいのししだよ★」
現在の年齢で、干支を理解していないのはまずいと思う。ねーうしとらうー、とか、言ってはいるのに、干支、という言葉を覚えていないのでは。星座って。
中学生のお姉さんは優しく、うんうん、いのししは漢字だと猪だよ、って。あぁありがとう。
まーまだ、携帯でネットやら、友達とやりとりすらほとんど理解しておらず、必要な時に私にかける、という、至極まともな使い方しかしていないので、面倒な心配がなくて良いですね。
さて時折猟奇禁止令を発布する人なので、ここ数件の薔薇薔薇殺人事件@否すかんちについて思ったことをひとつふたつ。
以前読んだ殺人全書、だったかしらん。バラバラにする理由も数パターンあるという話。怨恨やら、処理に困ってやら。
この2〜3年単位での「数年」に、バラバラ殺人というのはどれくらい発生しているのだろう。損壊された身体の一部が見つかり事件扱いとなったその件数の推移を知りたい。なぜかといえば、前述の通り「死体の処理のため」であるなら、小さくすることは確かに有効と思えるし、それが発見されたならつまり「見つからないようにしたが失敗」ということで、手段が「成功」(という表現は不謹慎と理解しているが、便宜上)した例が、隠れて沢山あるのではないか、と感じるからだ。
今回の2件の失敗例が立て続けに発生したことで、模倣犯も出てくるだろうし、この先ちと怖いですね。さらに今回のはまだ、当人らに怨恨という理由があったけれど(顔も見知らぬ通り魔に殺されるのはイヤだが、相手と自分に濃い関係性があるほうがまだマシかもと、私は思う。無論、身内だから余計に辛いという感情との狭間ではあるが)、後続されるものほどただのバカの稚拙な模倣になってくるだろうと想像するので、つまり、通り魔的犯罪にバラバラが絡んでくるのではないかと。
ところで私は自分がバラバラにされるとして、生きながらバラバラにされるのは苦痛が伴うので御免こうむるが、殺されてからバラバラにされることに関してはさほどの恐怖を覚えない。死んでしまえば痛くはないのだろうし。なんかしらドナーになっても良い、くらいの考えはあるので、死んでから切られることは、むしろ火葬よりも怖くない。火葬されるのは生き返ったらと思うと怖い。だったらドナーでも献体でもして、完全に生き返らない保証を得てから燃やされたい(笑)
ただ、自分の近しい人間が、たとえ完全に殺されてからバラバラにされたとしても、まったく許せないし怒り増すばかりだろう。表現にズレはあるが、殺された人よりもその周囲にさらなるダメージを与えたい場合に打撃が大きいのがバラバラ殺人なのではないだろうか。だから、大抵、バラバラ殺人は失敗だと思う。一番憎む相手を苦しめたいのなら、当人よりもその大事な人間をバラバラにしたほうが有効だ。憎む相手そのものをバラバラにして苦しめたいなら、中世の拷問のように、指やら足やらを少しずつ切り落とす方法を選ばねばならない。
そして結論。怨恨にせよ処理上の問題にせよ、バラバラにしなければ→作業を施行する段階で、それはすでに人ではない精神状態。だがしかし、病気ではなく観念の問題なので、裁かれないわけはないと、私は思う。
そして代わりの男を聴くのである。
カエルのカビ。これ大事件です。危機感を覚えます。
一週間程度、平日は呑まない作戦を実行できました。夜9時に就寝して翌朝7時までぐっすり、とか。疲れているのかなんなのか。
眠ってさえしまえば、余計なものを食べないしタバコも吸わないから健康に近づきますね(笑)
今日喰ったもの
朝/もやしのみそ汁かけご飯
昼/納豆サラダ。シャケいくらごはん
夜/湯豆腐以上水炊き未満
なんでも納豆が品薄だそうですね。日頃から納豆好きとしては悲しい。テレビのバカ。夜は頂きものの美味しい豆腐やら湯葉やらで幸せ。
自分が携帯を新しくし、子の位置確認をできるようになった。最近は人に優しいシステムで、基本料無料で、子自身が返信さえすれば住所がでてくるタイプが使用できる。
それを実験するのと、甥が持った携帯の番号やアドレスを入力したり(母から「なんか送った?」と問い合わせがあったので)なんだり、子の携帯をいじっていた訳だ。
だから決して、好奇心から、子の携帯を覗き見たのではない、とゆー自己弁護をしつつ、以下。
同会社同士の無料メールをチェックしたところ(これ、タイトルなく即内容)、一昨年、小学校で仲良くなった今は中学一年生の女の子の年賀メールを発見。あらあらやりとりしているのねーと微笑ましく思ったところ、次に見てしまったのは子の送信した
「あけましておめでとう!今年の星座はいのししだよ★」
現在の年齢で、干支を理解していないのはまずいと思う。ねーうしとらうー、とか、言ってはいるのに、干支、という言葉を覚えていないのでは。星座って。
中学生のお姉さんは優しく、うんうん、いのししは漢字だと猪だよ、って。あぁありがとう。
まーまだ、携帯でネットやら、友達とやりとりすらほとんど理解しておらず、必要な時に私にかける、という、至極まともな使い方しかしていないので、面倒な心配がなくて良いですね。
さて時折猟奇禁止令を発布する人なので、ここ数件の薔薇薔薇殺人事件@否すかんちについて思ったことをひとつふたつ。
以前読んだ殺人全書、だったかしらん。バラバラにする理由も数パターンあるという話。怨恨やら、処理に困ってやら。
この2〜3年単位での「数年」に、バラバラ殺人というのはどれくらい発生しているのだろう。損壊された身体の一部が見つかり事件扱いとなったその件数の推移を知りたい。なぜかといえば、前述の通り「死体の処理のため」であるなら、小さくすることは確かに有効と思えるし、それが発見されたならつまり「見つからないようにしたが失敗」ということで、手段が「成功」(という表現は不謹慎と理解しているが、便宜上)した例が、隠れて沢山あるのではないか、と感じるからだ。
今回の2件の失敗例が立て続けに発生したことで、模倣犯も出てくるだろうし、この先ちと怖いですね。さらに今回のはまだ、当人らに怨恨という理由があったけれど(顔も見知らぬ通り魔に殺されるのはイヤだが、相手と自分に濃い関係性があるほうがまだマシかもと、私は思う。無論、身内だから余計に辛いという感情との狭間ではあるが)、後続されるものほどただのバカの稚拙な模倣になってくるだろうと想像するので、つまり、通り魔的犯罪にバラバラが絡んでくるのではないかと。
ところで私は自分がバラバラにされるとして、生きながらバラバラにされるのは苦痛が伴うので御免こうむるが、殺されてからバラバラにされることに関してはさほどの恐怖を覚えない。死んでしまえば痛くはないのだろうし。なんかしらドナーになっても良い、くらいの考えはあるので、死んでから切られることは、むしろ火葬よりも怖くない。火葬されるのは生き返ったらと思うと怖い。だったらドナーでも献体でもして、完全に生き返らない保証を得てから燃やされたい(笑)
ただ、自分の近しい人間が、たとえ完全に殺されてからバラバラにされたとしても、まったく許せないし怒り増すばかりだろう。表現にズレはあるが、殺された人よりもその周囲にさらなるダメージを与えたい場合に打撃が大きいのがバラバラ殺人なのではないだろうか。だから、大抵、バラバラ殺人は失敗だと思う。一番憎む相手を苦しめたいのなら、当人よりもその大事な人間をバラバラにしたほうが有効だ。憎む相手そのものをバラバラにして苦しめたいなら、中世の拷問のように、指やら足やらを少しずつ切り落とす方法を選ばねばならない。
そして結論。怨恨にせよ処理上の問題にせよ、バラバラにしなければ→作業を施行する段階で、それはすでに人ではない精神状態。だがしかし、病気ではなく観念の問題なので、裁かれないわけはないと、私は思う。
そして代わりの男を聴くのである。
カエルのカビ。これ大事件です。危機感を覚えます。
一週間程度、平日は呑まない作戦を実行できました。夜9時に就寝して翌朝7時までぐっすり、とか。疲れているのかなんなのか。
眠ってさえしまえば、余計なものを食べないしタバコも吸わないから健康に近づきますね(笑)
今日喰ったもの
朝/もやしのみそ汁かけご飯
昼/納豆サラダ。シャケいくらごはん
夜/湯豆腐以上水炊き未満
なんでも納豆が品薄だそうですね。日頃から納豆好きとしては悲しい。テレビのバカ。夜は頂きものの美味しい豆腐やら湯葉やらで幸せ。
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