忘れて良いこと

2014年4月25日 通常
はー。
今日は長かった。
しかし、ここ数日の「夜中にキチガイメール送信」した人々から「いつも通り気にしていないから大丈夫」というフォローメールが回収しきれたからほっとした。

ロハさんコーケさんと話していて再確認したことがある。
自分様は繊細。
幼い頃からやらかした様々なこと、思い返すと穴に埋まりたい気持ちに、今だに陥る。
さすがに小学生時代くらいのことはある程度「昔話」で笑える部分もあるが、同時に当時の本心も覚えているから、あああ恥ずかしい、と、頭を抱える。中学高校くらいの話でも、いまだに思い出すとドツボにはまることがある。

一例をあげれば幼稚園の頃。
母親が幼稚園に来て、皆でロールパンサンドイッチを作り、園庭にブルーシートを敷いて、屋外昼食、というイベントがあった。
当時私は母親を盲目的に大好きだったので、幼稚園も好きだが、母親と一緒に幼稚園に一日中いられるのが嬉しかった。
サンドイッチを作り終えて、園庭に座って、さて。
いつものお弁当タイムなら、先生が「今日のお昼をありがとうございます」といった、軽い祈りを捧げ(キリスト教系幼稚園だったので。他ならお弁当の歌とか、とにかく「いただきます」の儀式)を行ってからいっせいに食べ始める。
が、母親がいること、教室ではなく外。自分も一緒にサンドイッチを作ったことで、非日常。
揃って「いただきます」を言う前に、嬉しくてロールパンサンドイッチに一口かぶりついた。
母親が「あっ」て顔をしたので私もすぐ「いただきます言わなかった!」と気づき、恥ずかしくて、まだ咀嚼に到っていなかった一口を口から取り出し、歯型が合うように、ロールパンサンドイッチの形を戻そうと、ぎゅうぎゅう押し当てた。

そりゃ、可愛いもんだ。
と、今は客観的に思えるが、同時に、4歳の自分の必死な気持ちに戻って恥ずかしい、と、凹むのである。

恥ずかしいばかりではなく、良かったことも、各時代の気持ちそのものに戻ってニヤニヤできるのだが、良い記憶を先に進めると、凹む事象は必ずある。そりゃ当然。
だから過去を思い出すと、良い過去時点でなるべく記憶を留めてニコニコしているよう、必死。

怒ることも同じで、一晩経過してから「やっぱり昨日のアレは怒るべき出来事だ」と、判断することが多くある。
職場の人なら大概毎日会うから、翌日に笑いながら「昨夜、一人で怒っていました。アレはダメですよ」とか言えるけれど、怒るべきタイミングを逸するので、相手にあまり伝わらない。
物事によっては年単位で「やっぱりアレは怒るべき時だった」と判断することもあり、しかし怒り時は確実に逸している。

即時沸点に行くのは、よほどな時。

ロハさんは私を半年近く見ていて「そうそう、乙女さん、何気に繊細」と言ってくれた。ありがとう。さらにコーケさんも「そういうのは忘れて良いんだよー」と言ってくれた。ありがとう。
一人でニヤニヤしている時は大概、良かった過去をリアルに思い出して浮かれているだけなので、気味悪いが害はないと解説。
面倒な人だが悪気はそんなになく、陰湿なだけなのを理解して貰えて良かった。

先頃書いたイライラは、怒りではなくイライラなので、言わずにいられる。時間が解決、も、自分自身がわかっているから。
一泊して怒る時は、一泊しているだけに柔らかく、腹に溜めすぎず本人に言うから大丈夫とは伝えた。

あー、ちょっと平穏になってきたねー。

まだまだ、自分で触れられない心苦しさはありますが、大丈夫。

今日喰ったもの
朝/白菜とえのきと油揚げのスープに麦少々おかゆ
昼/スーラータン春雨。カニカマおにぎりのようなもの。
夜/ケンタッキーのコールスロー。チキン。
白米、酢飯を数日ぶりに食べたら物足りなかった。この場合、麦を酢飯、では美味しくなかったとは思う。

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