オカルト

2020年5月20日 通常
自作諺がある。
「猫を見ただけ不幸になり、猫に触れただけ幸福になる」
触らせてくれないそこらの外猫を前提とした話。触りたいのに触らせてくれませんよ大概の外猫。また、この自作諺は同じ猫には通用せず、頭数カウント。
触りたいのに触らせてくれない(むしろ怖がられ逃げられる)=不幸
稀に触らせてくれる=幸福
という理由により、外猫野良猫を見る機会は多いが触らせてくれるのは希少で、猫好き触りたいベースの考え。見た分全頭触れるんならそんな幸せなことありません。
だから外で猫を見られるのは嬉しいが、同時に逃げられる悲しみも含んでいる。
猫を含まない諺としての解説は、神羅万象を見ず気づかなければ不幸は訪れない。しかし寄っていけば偶にとんでもなく幸福を味わえるという意味。
自作諺なので、自分だけのルールとして、もう十数年、外で見た猫を積極的に触りにいかないようにしている。むしろ野良猫と遭遇しないよう、目を合わせないようにしている。見たら触りたい欲からの触れない現実までワンセットなので。

ところがさすが日本三大スラムの門扉に住んで以来、スラム近隣ならではのまさかの光景に頻繁に遭遇する。
野良猫、基本的に、触られたがってくる(笑)
スラム人民は、責任取らずに気まぐれでエサやって懐かれるの、好き。だから野良猫は人間と見ればエサくれると思って媚び売ってくる(笑)
媚び売るだけならまだしも、ギリギリのラインで飛んで逃げる猫が、いない(笑)撫でられる悦びを知っている、奴ら。
野良だけど住民の共同ペットの模様。

これではせっかくの長年の自作諺が通じません。
異常な環境として、やはり長年居住してはいけないと、ますます触らないように気をつけております。

だって住民、朝っぱら出勤しようとしている自分様への外見感想ダダ漏れで言葉にしてくるのですよ。ネジ外れてるから。
信号待ちの間に「お?いいんじゃね?」「いやそうでもねぇか」と、口に出さなければ気づかない批評を、ネジ外れ人らから聞きたくもないのに聞かされる環境。頭の中で思った感想と個人内逡巡を口にしないで頂きたい。反射的発言多すぎ。
そんな住民だらけ。
よって自作諺を保持する為にも、ここはイレギュラーな地域だと、常態だと思わない冷静さを維持しております。
この自作諺、随分前の日記にも書いたことあると思います。パクっても良いけど著作権ください。

二つめの話題。
寝ている間に見る夢のクオリティが、多分やはり、多数に比べて段違いでリアルだと思われる。これはTwitterで人が呟いているのと、それに対する感想を見て。その程度でリアル、悪夢扱いかと。
色や音は当然とし、匂いや臭いや味や蝕感もある我が夜に見る夢。毎晩パラレルワールドで生きているような物なので、目覚めれば夢だと認識できるが混同することも稀にあり。フィクション連載物も数本抱えている。一番古い連載だと4歳から。←某漫画家のように休載からの未完かと思いきや時々復活してくる。
フィクションと書いたが、一応の現実と対比して途切れはあるものの連載されている以上、夜の夢こそまこと、の、少々違いで、夜の夢もまたまこと、と、ノンフィクションの一部だと把握しても良い気もする。昼も夜もノンフィクション。
成人するくらいまで、他の人も自分と同じような夢の見方をしていると思っていたので、自分の夢見負荷を今更大変だとは思っていない。が、気づけばなんか損している気も得している気も両方している。
誰か夢について研究している人いたら、自分様の夢研究してください。もう、日記に書くほどのことでもなくてあまり書いていないけれども、後述の現実の認識と併せて、具体的な夢を見ない日が年に一度あるかないか。夜の夢はせいぜい、目覚めることで随時一旦終わりを迎えるというだけの区別。自分が現実として認識しているのは夜に見る夢は日々あちらこちらに飛ぶが、そこを抜ければ継続性のある暮らし。そちらを抽出して現実と呼んでいる。

疲れていますね。こういう話を書くと実感する。

今日喰ったもの
朝・鶏卵サンドイッチ
昼・チーズマヨマスハンバーグ。ブロッコリー。プチトマト。米。
夜・エビとブロッコリーとサラダ菜とプチトマトのマヨネーズ辛子和え。
お気付きだろうが、自分は野菜の中ではブロッコリーが相当好き。今回購入したブロッコリーが大当たりだった。甘い。幸せ。

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