一年で10kg太れるのは才能だと思う。
体重計という生々しい現実を受け入れるのに時間がかかりました。
理由は色々と判明しているので問題無し。
数年間、健康診断で1年に1キロ増えているのは黙殺してきたがな、1年で10キロはいけません。太ってくれた我が身ありがとう。目が覚めました。
痩せていたいというのではない。むしろ、一定の年齢以上で不可思議な痩せ方をしていたらなんか寂しそうに見えるとゆー持論もある。
持論があるにも関わらず、戻そうとしているのは、今がその時ではないと認識しているからだ。自分の体質や体調と向き合う限り、まだもうちょっと数字の上で「痩せ気味」にいられる気がする。
ここをすっ飛ばして「そういうキャラ」になったら戻れない。
痩せ気味判定をいただけるだけいただいていた人がね、キャラ変するには心の修行が必要なんです。1年1キロ増量は修行で、緩慢に加齢等を受け入れる準備だと思って、いつも通り見てみぬフリを決めこめていました。が、10キロ増量は「お前、まだそっちに行くな」というオカルトの神の声だと思っています。
一気に来なけりゃ戻そうとゆー気にもならんもんモランボン。
しかもザトギワである。これより増量したら「太り気味」の枠に入り、後は苦しいダイエットを強いられる。痩せ気味でいる限り、少し肥えてもすぐ戻ってこれるのだ。いつもいつも重量を気にしなきゃならん「標準」でいたら、うかうか過ごすこともままならない。
まー、賢い体重計さん曰く、無駄な脂肪の量が多いそうなので、そこは減らす。せっかくなんで筋肉つける。
今日はわかりやすくミーハーしてきてみました。
古いお付き合いの方には見え透いていましたね。
勿論嫌いではなく、好ましく、その方向にリスペクトはしているが、どうも素直になれない自分様。
んー。いやー。何が好きとか一個に固められるのが窮屈で、色んなものを好きな訳ですよ。好きなものが同じなら理解し合える訳ではないのと同梱。同じだけで平和ならどれほど楽か。
しかし平和なものを好きと言っているだけで同じ同じ仲間仲間と言う人が多いのも事実で、たまには同じ平和仲間とゆーデモンストレーションをするのも一興なのです。
結果論して反吐が出るような同じ平和仲間となるが、だって怖いんだもん同じ平和仲間の人たちw 自分の心の平穏の為に、それなりに汎用性のある好もしいものを好き好きとアピールしたい。
目眩しのようにしてしまって申し訳ないものは、とても気を張り詰めていて、少々苦しくなった。良い人でいるのも大変だ。
自分の場合は、自分が比較的、何かの祭りに参加しやすい場所に育っているのは幸いと思った。
見に行きやすい、対象が生身だと自らの目で見て理解しないと、バカだから人様に迷惑をかける。これはライブ感重視に通ずる。
大昔、テレビ番組の公開収録(ラジオだったか?)に行った際、媒体を通して見知っているつもりだった対象が生物だと気づいた。特にすごく好きなものでもなかったが、自分の視野で見える中で実感が湧いた。これは見に行かなければ気づけなかった自分のバカとアホは前提の上で、同様のバカとアホも世には山ほどいるだろうし、まだ、近場で、先様も生身と生々しく知れる機会に恵まれたから解決を見れた。
自分様が、もしもクッソ田舎に生まれついていた場合。
1・運転免許を取るも事故で何かを傷つける
2・媒体越しの媒体をすっ飛ばして狂気入り
どちらかだったと思います。
まー、近場だったから動き回れて知れた物事がたくさんあり、今に至る。
よって、今日、申し訳ないことサクリファイスにもほどがあることをしてしまった方が気を張っているのが見えて「自分様には営業しなくても大丈夫だから」と心にだけ思った。いや、現実に口に出したら怖かろうよ。
自分様のような生き物が、遠地に生息していることはままあるだろうし、その手の生き物がストーカー的になる可能性は見えて余りある。そりゃ怖いわ。おっかなーい。
若いうちに何かのライブを見ることは、たとえ会話することがなくても、認知されなくても、生であるというだけで、自らを多少、真っ当に生きさせることができる体験だと思います。レッツライブ。
今日喰ったもの
昼・ドトールのレタスドッグ
夜・砂肝のコンフィ
体重計という生々しい現実を受け入れるのに時間がかかりました。
理由は色々と判明しているので問題無し。
数年間、健康診断で1年に1キロ増えているのは黙殺してきたがな、1年で10キロはいけません。太ってくれた我が身ありがとう。目が覚めました。
痩せていたいというのではない。むしろ、一定の年齢以上で不可思議な痩せ方をしていたらなんか寂しそうに見えるとゆー持論もある。
持論があるにも関わらず、戻そうとしているのは、今がその時ではないと認識しているからだ。自分の体質や体調と向き合う限り、まだもうちょっと数字の上で「痩せ気味」にいられる気がする。
ここをすっ飛ばして「そういうキャラ」になったら戻れない。
痩せ気味判定をいただけるだけいただいていた人がね、キャラ変するには心の修行が必要なんです。1年1キロ増量は修行で、緩慢に加齢等を受け入れる準備だと思って、いつも通り見てみぬフリを決めこめていました。が、10キロ増量は「お前、まだそっちに行くな」というオカルトの神の声だと思っています。
一気に来なけりゃ戻そうとゆー気にもならんもんモランボン。
しかもザトギワである。これより増量したら「太り気味」の枠に入り、後は苦しいダイエットを強いられる。痩せ気味でいる限り、少し肥えてもすぐ戻ってこれるのだ。いつもいつも重量を気にしなきゃならん「標準」でいたら、うかうか過ごすこともままならない。
まー、賢い体重計さん曰く、無駄な脂肪の量が多いそうなので、そこは減らす。せっかくなんで筋肉つける。
今日はわかりやすくミーハーしてきてみました。
古いお付き合いの方には見え透いていましたね。
勿論嫌いではなく、好ましく、その方向にリスペクトはしているが、どうも素直になれない自分様。
んー。いやー。何が好きとか一個に固められるのが窮屈で、色んなものを好きな訳ですよ。好きなものが同じなら理解し合える訳ではないのと同梱。同じだけで平和ならどれほど楽か。
しかし平和なものを好きと言っているだけで同じ同じ仲間仲間と言う人が多いのも事実で、たまには同じ平和仲間とゆーデモンストレーションをするのも一興なのです。
結果論して反吐が出るような同じ平和仲間となるが、だって怖いんだもん同じ平和仲間の人たちw 自分の心の平穏の為に、それなりに汎用性のある好もしいものを好き好きとアピールしたい。
目眩しのようにしてしまって申し訳ないものは、とても気を張り詰めていて、少々苦しくなった。良い人でいるのも大変だ。
自分の場合は、自分が比較的、何かの祭りに参加しやすい場所に育っているのは幸いと思った。
見に行きやすい、対象が生身だと自らの目で見て理解しないと、バカだから人様に迷惑をかける。これはライブ感重視に通ずる。
大昔、テレビ番組の公開収録(ラジオだったか?)に行った際、媒体を通して見知っているつもりだった対象が生物だと気づいた。特にすごく好きなものでもなかったが、自分の視野で見える中で実感が湧いた。これは見に行かなければ気づけなかった自分のバカとアホは前提の上で、同様のバカとアホも世には山ほどいるだろうし、まだ、近場で、先様も生身と生々しく知れる機会に恵まれたから解決を見れた。
自分様が、もしもクッソ田舎に生まれついていた場合。
1・運転免許を取るも事故で何かを傷つける
2・媒体越しの媒体をすっ飛ばして狂気入り
どちらかだったと思います。
まー、近場だったから動き回れて知れた物事がたくさんあり、今に至る。
よって、今日、申し訳ないことサクリファイスにもほどがあることをしてしまった方が気を張っているのが見えて「自分様には営業しなくても大丈夫だから」と心にだけ思った。いや、現実に口に出したら怖かろうよ。
自分様のような生き物が、遠地に生息していることはままあるだろうし、その手の生き物がストーカー的になる可能性は見えて余りある。そりゃ怖いわ。おっかなーい。
若いうちに何かのライブを見ることは、たとえ会話することがなくても、認知されなくても、生であるというだけで、自らを多少、真っ当に生きさせることができる体験だと思います。レッツライブ。
今日喰ったもの
昼・ドトールのレタスドッグ
夜・砂肝のコンフィ
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